赤木凡豚の考察レポート

しがないSF好きな暇人の赤木凡豚です。各種考察や感想、思い付いたことなんかをつらつらと記録します

バチカン市国研究について4

 少し時間が空きましたが、バチカン市国外交政策について前回の続きを話していきます。

 前回は司教任命権の重要性について説明しました。今回は中華人民共和国カトリックについてお話ししたいと思います。


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 勘の良い方はここで「おや?」と思ったかもしれません。そもそも社会主義を唱えたマルクスは、宗教を阿片だと非難し、人類の歴史とは生産力の発展と生産関係における階級闘争の歴史であるとする唯物史観を提唱しました。したがって社会主義では神の存在が否定され、人民を抑圧した封建社会の残滓として弾圧されがちです。例としてソ連ではロシア正教会が、カンボジアでは仏教が弾圧されました。ではなぜ中華人民共和国ではカトリックが公認されて活動できているのでしょうか。答えは中華人民共和国の成立過程にあります。清朝末期から日本の敗戦まで中国大陸には多数のカトリック宣教師が滞在しており、それにあわせて各地に数多の教会が建てられました。もちろん彼ら宣教師は、西欧列強による中国植民地化の尖兵という側面もありましたが、一方で学校や病院を建設したり、炊き出しなどの貧困者援助をしたりしていたため、特に地方を中心に信者も多く存在していました。中国共産党によれば、国共内戦終結時点で中国には農村を中心に約300万人のカトリック信者がおり、これはプロテスタントより多いものでした。すると中国共産党としても、カトリックを弾圧したのでは300万の人民を反革命的反動主義者に変えてしまいかねず、また学校や病院などの施設は建国当初の中華人民共和国にとって貴重なものでもあったため、革命後の中国に必要なのはカトリックとの共存であると考えるようになりました。折しも朝鮮戦争が勃発し、中華人民共和国では北朝鮮を擁護してアメリカ帝国主義から朝鮮人民を守る「抗美援朝運動」が展開されました。この際中国共産党バチカン市国を「美帝国主義の尖兵」、「反革命的封建勢力」と断罪し、バチカン市国の大使を国外に追放して国交を断絶しました。ところがこのキャンペーンは思ったようにはいかず、中国カトリック信者とバチカン市国の繋がりはなかなか崩れませんでした。そこで中国共産党は「抗美(反米)」、「反帝」という面からバチカン市国を非難するのではなく、「愛国主義」を持ち出してバチカン市国と距離を置くことを正当化するようになりました。バチカン市国のような外国勢力に介入されることなく、愛国的中国人民なら独自の運営と発展が可能であるという愛国主義的考えを喧伝し、「宗教団体を人民が自ら統治する(自治)」、「宗教を人民が自ら発展させる(自養)」、「宗教を人民が自ら布教する(自伝)」という三つの理念『三自主義』を提唱しました。その結果、中華人民共和国には三自主義に従ってローマ教皇庁からの独立を唱え、中国共産党政府が公認したローマ・カトリックの一会派である「天主教愛国会」という教会が成立しました。ちなみに中国語で「カトリック」は「天主教」と書き、一方で「プロテスタント」のことを「基督教」を書きます。紛らわしいのでご注意を。もちろんバチカン市国ローマ教皇庁はそのような会派を認めておらず、つい最近までその様な勢力は存在しないという態度を貫いてきました。そのためバチカン市国は良かれと思って中国人司教を大司教枢機卿にしたり、新たな教区司教を任命したりしましたが、当然逆効果となります。そして中国共産党も非公認のカトリックに対して厳しい取締りを行い、バチカン市国ローマ教皇庁と繋がりを持つカトリックは香港教区やマカオ教区に避難するか地下教会として隠れキリシタンのように非公然な宗教活動を行っています。そしてこの状況が現在まで続いています。

 次回はいつになるかわかりませんが、続きをお楽しみに!