赤木凡豚の考察レポート

しがないSF好きな暇人の赤木凡豚です。各種考察や感想、思い付いたことなんかをつらつらと記録します

映画『スカイクロラ』の考察2

 忘れないうちに続きを書きます。

 トキノの異常性、それは彼が「死んでない」ことです。カンナミが所属した基地に最初からいたパイロットは、トキノ、シノダ、ユダガワ(、クサナギ)のみで、このうち作中を通して生き残ったのがトキノ(とクサナギ)のみとなっています。コマンダーのクサナギが死なないのは良いとして(良くないが)、なぜ最前線に繰り返し出撃したトキノだけが生きて物語を終えられたのでしょうか。私はそれが彼に与えられたキルドレとしての役割だからではないかと思います。

 カンナミの系列にあるキルドレ(以下「カンナミ系キルドレ」)は、クサナギを愛し、漫然と続く世界を変えるためにティーチャに挑んで死ぬという人生を繰り返しています。これが彼の映画における役割なのです。しかしトキノをはじめとするトキノの系列にあるキルドレ(以下「トキノ系キルドレ」)は、作中を通して死ななかったことから、生き続けることが役割のキルドレであるとみることが出来ます。なぜ死ぬキルドレと生きるキルドレが必要となったのでしょうか。理由は簡単です。世界を変えようとして生と死を繰り返すカンナミ系キルドレが、ゲームのバグの様に突然強くなったり行動を変化させたりしないかを監視するには、戦死しない限り死なないキルドレに観測者となってもらうのが最も手っ取り早いからです。あの世界はクサナギが言うように戦争という「ゲーム」を続けることでしか平和を楽しめない世界であり、ゲームは永続させることが目的となっています。となればデバッガーのような存在が必然的に求められるようになるわけです。トキノ系キルドレはその為だけに生かされている哀れなキルドレなのです。したがって作中でもトキノはカンナミにそれとなく過去のことを伝えこそすれ、直接カンナミの進路を変更することはありませんでした。もしそれをしたらトキノ系キルドレ自身がゲームにバグをもたらしてしまうわけですから当然と言えば当然のことでしょう。

 変化を求めて死んでいくカンナミ系キルドレと現状維持のために生かされ続けるトキノ系キルドレ。相反する二人がバディとなったのもゲームの設定と考えればすんなり納得できてしまう怖さがあります。もしもたらされるならもっと幸せな平和が欲しいですね。

 映画『スカイクロラ』は短いからこそ全てのシーンに掘り下げる余地が残ってます。もしよろしければ皆さんも一度ご覧になってみてください。