赤木凡豚の考察レポート

しがないSF好きな暇人の赤木凡豚です。各種考察や感想、思い付いたことなんかをつらつらと記録します

PSYCHO-PASS三期決定記念!三期のテーマを予想してみる

 先程PSYCHO-PASSのアニメ三期の製作を知りました。楽しみな反面怖さもあります。というのも一期だけを前提に作ったらウケたので二期、三期……となる作品はしばしば尻すぼみになったり中弛みになったりして駄作となりやすいからです。しかしPSYCHO-PASSはそんなことないと信じています!そこで今回はPSYCHO-PASSの一期と二期のテーマを振り返って三期のテーマを予想してみます!

 PSYCHO-PASS一期と言えば「槙島聖護」でしょう。シビュラシステムに依存していては裁けない明らかな「悪」を体現する大変魅力的な悪役でした。彼の存在は「なぜ人間は法を作ったのか」の答えそのものとなっています。法の存在しないホッブズ的自然状態において、「正義」とは「力」そのものです。なんらの制約もない自由競争の中では手段が目的を正当化する強者の論理がまかり通ります。しかしそれでは圧倒的多数を占める弱者は「力」に虐げられるだけとなりますし、強者がもし事故や病気で弱くなれば誰かに虐げられる存在になってしまいます。この問題を解決するには「弱者に力を与える」必要があります。それが国家の「法」だったわけです。シビュラシステムの導入によって全ての量刑が犯罪係数に依存するようになった社会は、しっかり管理されているようでいて、その実「PSYCHO-PASS」という「力」を絶対視するホッブズ的自然状態が創出された社会なのです。槙島聖護はこの社会において反論の余地もなく「正しい」存在であるため、いかに彼が人を殺そうと、テロを企てようと、犯罪を幇助しようと、その行為は「免罪体質」という圧倒的な力によって正当化されてしまいます。これに非免罪体質の「弱者」が抵抗するためには、人間本位で作られた倫理観や規範、正義感に権力の後ろ楯を添えた「」を振りかざす必要があります。一期はこうした「法」を失った日本が直面した「裁けぬ悪、正当な悪」を生々しく描いていました。完璧な司法が法の欠缺に対処できなくなるなんて、なんと皮肉なことでしょう。

 PSYCHO-PASS二期は賛否分かれる作品となりました。特に鹿矛囲桐斗の目的がよく分からないという声はよく聞きます。ここで二期を軽くおさらいしましょう。鹿矛囲が複数の遺体を繋いだ多体移植で生還した人物であるという設定は、市民を色相で区別するシビュラシステムと無色透明(シビュラシステムは遺体をスキャンしない)な鹿矛囲を対比する上手い設定だと思います。加えて「免罪体質」故にスキャンされるけど犯罪係数が上がらない槙島聖護と違って、鹿矛囲は無色透明だからこそどこにでも入り込んで真相を探ることが出来るわけですから、この設定は物語上重要な要素でした。何故なら「WC? (What colour?)」という言葉の通り、鹿矛囲が知りたかったのはシビュラシステムに支配された社会の色相、そしてシビュラシステム自体の色相。言い換えれば「シビュラシステム社会の正当性」を鹿矛囲は探っていたのです。全ての市民を強者の論理に従わせるシビュラシステム社会を「気持ち悪い」と感じて破壊しようとした槙島聖護と違い、シビュラシステム社会を受け入れつつも、立憲国家における憲法のように権力に正当性をもたらす権威を違法な手段で探った鹿矛囲は、強いて言えば確信犯のような「悪い正義」の象徴でしょうし、同じことは免罪体質の脳を使っているシビュラシステムにも言えそうです。

 さて法自体の問題を突く「裁けぬ悪、正当な悪」、権力の正当性を疑う「悪い正義」を経て、三期には一体何が来るのでしょうか。そういえば劇場版ではSEAUnを舞台に「正義の悪用」も取り上げていましたね。私が思うに一期で法そのものを扱い、二期で法と権力の関係を扱い、劇場版で法に基づく権力の行使を扱ったことから、三期では「法の改正」がテーマになるのではないでしょうか。一期、二期ではシビュラシステムの想定しない事態が発生し、また劇場版とSS Case.2ではSEAUnを巡って外務省の花城フレデリカが厚生省に苦言を呈すなど、明らかに作品を重ねるに連れて、社会はシビュラシステムが当初想定していなかった状況になりつつあります。そろそろシビュラシステムがこうした事態に対応して「犯罪係数」の基準を変更したり、厚生省の権限を変更したりしてもおかしくないでしょう。加えて気がかりなのが、PSYCHO-PASS SS Case.2の最後に花城フレデリカが須郷さんにヘッドハンティングを断られた後に「いずれ受け入れざるを得なくなる状況が訪れる」と言っていたことです。そしてこのタイミングでの三期の製作決定。これまで外野となっていた外務省や国防省が厚生省の領域に踏み込んでくるだろうということは予測がつきます。するとシビュラシステムという完全密室の中で起きた法改正の正当性は誰が確認するのでしょうか。社会全般のためではなく、シビュラシステムのために法改正が行われていたら、誰がそれを止めればよいのでしょうか。特に憲法にも等しいシビュラシステムの判断基準や権限付与の基準は、しっかりと市民が本来監視して改廃しなければなりません。そしてこうした問いに対する回答はこれまで「PSYCHO-PASS」シリーズの中で語られてきませんでした。したがって私は「法の改正」がテーマとなると予想し、「変化する正義」が問われるような作品となるのではないかと考えています。

 とりあえずPSYCHO-PASS三期を楽しみに待っています!